
2020年のアカデミー賞でオスカー4冠を成し遂げたパラサイト。
パラサイトをきっかけに韓国映画に興味を持つ人は多いと思います。
しかし韓国映画と一口に言っても種類は豊富。表現方法も日本と多少異なるため、自分に合う映画をなかなか見つけられない、ということがよく起こります。
ここでは、初心者向けの韓国映画を人気のジャンルごとに紹介したいと思います。
恋愛もの
日本と同様に、韓国でも恋愛映画は根強い人気を誇っています。
ラブコメ要素が強い映画も良いですが、笑って泣ける恋愛映画こそ韓国映画の特徴。
「猟奇的な彼女」や「僕の彼女を紹介します」、「カンナさん大成功です!」などがおすすめです。
コメディ色が苦手な人なら、「私の頭の中の消しゴム」や「ラブストーリー」がおすすめ。全体的に落ち着いたトーンで進むので、大人でも楽しめる作品です。
サスペンス
息もつかせぬハラハラ・ドキドキな展開が魅力の韓国サスペンス。
サスペンスの韓国映画の特徴としては、キャラクターの暗い過去や予測不能な謎で観客を取り込みつつも、最後は爽快感を感じられる点でしょう。
日本のコミックを原作にした「オールド・ボーイ」、殺人の疑いを晴らす「母なる証明」、韓国エンタメ要素が詰まった「殺人の追憶」。
イ・ビョンホンの「悪魔を見た」、「哭声 コクソン」なども強い人気があります。
ただし、韓国のサスペンスものは暴力や殺人といった残酷な場面が多いことでも知られているので、そうした凄惨な描写が苦手な人は注意しましょう。
歴史もの
日本では韓国の歴史劇と言えば、「チャングム」や「イ・サン」など、テレビドラマの方が知られているかもしれません。
しかし、映画にも名作が充実しています。
イ・ビョンホンの初時代劇作品となった「王になった男」、歌い手となった女性の数奇な運命を描く「花、香る歌」、スキャンダルな展開が魅力の「尚衣院 サンイウォン」、暗殺を描いた歴史サスペンス「GABI 国境の愛」。
韓国の歴史映画の特徴は、歴史が苦手な人でも楽しめる間口の広さ。エンタメ性がいっぱいなので、韓国の歴史に馴染みのない日本人でも楽しむことができます。
「パラサイト 半地下の家族」背景について~なぜ半地下・実際のロケ地は?~
第92回アカデミー賞で作品賞を獲得したポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」ですが、このなぜ半地下の家があるのか、実際のロケ地はどこなのかと言った疑問が出てきます。
今回、この疑問に対してそれぞれ項目ごとにまとめ、解説しました。
「パラサイト 半地下の家族」に興味がある方にとってその背景を知ることができるのがこの記事です。
・なぜ半地下住宅?
日本だと、ほぼ目にすることのない半地下住宅ですが、韓国では現在も住んでいる方がいます(調査によると約3%以上の国民がこういった住居に今も住んでいるとのことです)。
これは韓国のかつての政策によるもので、朝鮮戦争が再び起こった際に安全に住むことのできる住居がこの半地下住宅であり、奨励された歴史があるからです。
安全性の代償として居住性が著しく犠牲にされたこの住宅は、やがて多くの方が住まなくなり、不人気物件となりました。
そして、その不人気物件はやがて韓国の貧困層の住宅となっていった背景があるのです。
監督はこの貧困の象徴とも言える半地下住宅をモチーフにして、邦題などのタイトルにも(英語版はパラサイトのみ)入れるという位重要視しています。
現在世界に広がる格差社会についても鋭く迫った映画という点で評価されており、カンヌ映画祭でも高い評価を得ているのです。
・ロケ地はどこ?
この映画のロケ地ですが、残念ながら実在の街を使ったものではなく、ほとんどをセットで作ったようです。
非常にリアルに作られており、街ごとセットを作るという力の入れようで、半地下の家と豪邸が、共にセットであったということが伝えられています。
単に内容だけでなく、きちんと調度品のような小道具に至るまで詳細に再現しているという技術力の高さもこの映画の高い評価を得た理由と言えるのです。
また、住宅だけでなく外もセットの部分が多く、いかに多くの人員や手間をかけて監督が目指した理想の映像を作ろうとしたかということが分かるエピソードと言えます。
1970年代に日本にブームを巻き起こした香港のカンフー映画について
1970年代に日本では香港映画が隆盛を極めました。
それまでの香港映画に限らす中国映画は日本ではあまりなじみがなく
洋画はほとんで欧米のものが主流でした。
1973年の年末に公開されたブルース・リーの燃えよドラゴンは
それまでの常識を覆し、香港映画が海外の映画として公開され大成功をするという
極めてセンセーショナルな出来事を起こしました。
ブルース・リーが人気がでた理由は諸説ありますが
彼の主演映画である燃えよドラゴンが公開された時にはすでに
彼はこの世の人ではなく、スクリーン上にしか存在しない
神秘的なヒーローであったがまず挙げられます。
終えよドラゴンが公開されたのは1973年12月。
しかしながら彼は1973年7月にはこの世を去っています。
最後の様子も極めてミステリアスで、多くの人たちが
ブルース・リーはどんな人間でどんな性格の人なのかさえわからない
ベールに包まれた存在であるブルースリーに対して
当時の多くの人たちが彼に対して無限大の魅力を感じた事がまず挙げられます。
また信じられないほどの
強烈なスピードで繰り広げられるアクションと考えます。
従来のアクションものは武器や車などどちらかと言うと
道具をうまく使用しながら、様々な形で映画のストーリーが
展開されてきましたが、ブルースリーの映画はあくまで
人間対人間がカンフーという手段を通じて雌雄を決するという
意味で新鮮さがありました。
燃えよドラゴンは空前のヒットでその後、彼が生前残した
3本の映画が続々と公開されるや香港映画は大ヒット。
1970年代の日本の洋画界は、ジョーズやタワーリングインフェルノなどパニック映画など
欧米の映画を除くとカンフー映画なしでは語れない状況になりました。
その後ブルースリー最後の遺作である志望遊戯が1977年に公開され
カンフー映画時代は少しずつ下火になります。
しかしながらブルース・リー映画でエキストラとして出演していた経験のある
ジャッキーチェンは1970年代に今の地位の基礎を築いたといえます。
1970年代は文字通りカンフー映画が日本人の映画ファンに心に残る
強烈な思い出の一つを作った時代といえます。
話題の映画:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド